【感想】「えんとつ町のプペル」主人公と大衆

人から勧められたものは、映画、漫画、小説、アニメ、ドラマ問わずできるだけ見るようにしている。

 


おすすめされているからには何かしらの強みを持っている作品であるだろうし、とりあえず見ておいて損はないだろう。そこから気に入るかどうかはまた別の問題だ。

 

 

 

というわけで「えんとつ町のプペル」を見てきた。ちなみにこの作品を取り巻く色々な事情について意見する気はまったくない。また、原作となっている絵本を見たことはない。そしていちいち言うことでもないとは思うが、いつも通りただの個人的な感想文である。

 

 

 

結論から言うと、きれいな映画だった。うん。きれいだとしか言いようがない。

ビジュアル面はもちろん、伏線の張り方もきれいだったと思う。

 


だが、私はこの映画を鑑賞している間ずっと微妙な違和感を抱え続けた。

 


世界観と、メッセージ。

 


世界観については私と同じように引っかかる人が多そうだ。

 


えんとつ町のプペル」鑑賞前、映画ポスターなどから想像していたのは西洋の可愛らしい童話やディズニー映画のような世界観だった。主人公のビジュアルも、町の様子もキラキラしていてそれっぽかった。

 


しかし、いざ見始めてみるといきなり流れ込んできたのは東京下町の雰囲気だった。

立川志の輔の素晴らしい語りに昔ながらの紙芝居、ブルーノの服装もまさに東京下町の親父そのものだ。

 


かと思えばルビッチが煙突掃除をする時の作業着(?)のビジュアルは思い切り西洋のものに振り切っている。

 


ブルーノそのものの雰囲気やキャラクターはとても好ましく、素敵だったと思うのだが、いかんせんこの不思議な世界観の混在に気を取られて違和感を抱えっぱなしだった。

こんなところばかり気になってしまう未熟者ですまない。

 


その混在した世界観には何かしらストーリー上の理由があるのだろうかと思い見続けたが、実は厳しい鎖国状態だったという、むしろ文化の混在は起こりえないだろう…というオチだったので違和感は拭えなかった。

 


(まあ独自の文化が発展した、ということを描きたいがためにあえて不思議な世界観を作ろうとしたという見方もある。だけどそうしたかったのならもっとオリジナリティのある「えんとつ町の独自文化」を作り出す必要があったのでは、とも思う。)

 

 

 

2つ目、メッセージについても微妙な違和感があった。これはあまり上手く言語化できなかったので思い切って割愛しようと思う。またなにか思いついたら追記したい。(投)

 


まあでもあえて言葉にするとしたら何だろう。国のトップ含め大衆が愚かで、主人公たちが高潔だと言いたげなクライマックスだったのがあまり好きじゃなかった。

 


最終的に煙がなくなったことでみんなハッピーになったのなら、最初から(ストーリーの最初であり、えんとつ町の始まりではない)煙は要らなかったことになる。それなのに必死で煙を守ったかと思えば、ひとたび星を見るとコロッと態度を変える。嫌いとまでは言えないが、そのストーリーを見た瞬間、大衆が主人公たちのいいように動く人形のように見えてしまったのだ。

主人公たちの、ひいては製作者たちの思想を強く表現するために動かされた大衆。

 

メッセージを自分なりに感じ取る隙もなく、押し付けられたように感じてしまった。

 

また、これも個人の好みの話なのだが、主題歌の歌詞から、ぞわぞわとする違和感と共感性羞恥に近い何かを感じてしまった。


もうこれは、私がこの映画を見るのに向いていなかったということに他ならない。きっと私が気になったところは、本来気にするべきではないところだろう。

 


しかしこの微妙な違和感を何とか言葉にしたいがためにもう一度見てみてもいいのかもしれない、と思う時点で、やはりこの映画も何らかの力を持っているのだろう。

【感想】「るん(笑)」 似非科学とスピリチュアルと人間

眩暈がするほどキツかった。

読了したのは三部のうちの一部「三十八度通り」のみだった。それでもこの有様だ。

 

この本は、スピリチュアルや似非科学とかそういうものに触れ、実際にそのコミュニティに(自らの意志かどうかは関係なく)属し、さらにそのコミュニティに対して不信感を持ったことのある人にとって必ずと言っていいほど精神的ダメージを与えるものだ。全文にくまなく拒否反応が出るうえに、自分がかつて(あるいは今も)属していた世界が客観的に見ると、誇張されているとはいえここまでの不信を感じさせるものであったということを突き付けられる。そして、その世界に対して疑問を持たず、いまだに信じ続けている家族そして友人の顔が浮かぶのだ。そんな家族や友人の信じるものを否定したくはないし、その信条と闘うほどの体力も気概もない自分を思い知る。

 

「るん(笑)」は同じ世界で起こる三つの物語が収録されている。

この本、「るん(笑)」の世界では、「科学」と「スピリチュアル」が立場を逆転させている。人々はみな、血液型や学歴で他人の人格を決めつけ、「心縁」という目に見えないつながりを何よりも大切にし、病院や薬を忌避し、「先生」のもとへ体の毒素を抜いてもらうため通い、脳波を盗聴されることを恐れて頭にアルミホイルを巻き、電磁波の害を防ぐため携帯にはお札を貼り、アンチエイジング効果のため○○(自主規制)を求め食べ、極めつけには「龍」を信仰し、「龍」に捧げる「贄」で川を汚染する。(こんなものでは足りない。並べられないほど大量の「似非科学」と「スピリチュアル」のオンパレードである。)

また、一人だけ登場した(一部時点)科学者は人々の冷笑の対象とされ、病院にはいたずら書きがされておりまともに機能しない。

 

そんな世界の中で38℃前後の微熱に長く悩まされる男が主人公だ。男は似非科学やスピリチュアルについて不信感を抱えるが、それを口に出すこともそれに反発することもせず、ただ周りに流されるまま「龍」の鱗で邪気を払った「閼伽水(アクア)」をはじめ、様々な治療法を試す。しかし体調は一向に良くならず、耐えかねて解熱剤に手を出すが、その様子を妻、真弓にひどく責められる。

そんな主人公が試行錯誤の末ある種の終着点に辿りつく物語である。

 

 

この本を読むのは非常にキツかった。というかまだ三分の二残っている。それでもこの本を読みたい、というより読まなければいけないと思ったのはやはり自分の体験からだ。

 

早い話、私の母が「そういう」似非科学やスピリチュアルの虜なのだ。

 

先に言っておくが、私は私の母が大好きであるし、ここまで不自由なく優しく、愛情を持って育ててくれたことに心から感謝している。本当に感謝している。

しかし、進学をきっかけにして色々な友人と知り合い、一人暮らしも始めたことで、それまで母に抱いていた違和感を冷静に考えることができるようになった。それだけである。

 

まあ詳しいことは話したくないというか自分でもあまり把握できていない部分があるので適当に想像しておいてもらえると嬉しい。こんな丸投げするつもりではなかったのだがいかんせんここまで文章を書くのにかなり体力が消費されたので察してほしい。

とりあえず今私は立派とは言えないまでも生きているし母の属する団体からも距離を置いている。でもそれは多分時限爆弾のようなもので、いつか何かしらの決断を下さなければいけない時が来るのだ。母の方針でワクチンを途中から全く接種していないとか、大人になり独り立ちしたらその団体にも誘われるだろうとか、そういうものと向き合っていかないといけない。面倒だが現実だ。

それでもやはり、まだ自分でも信じるべきは何なのか分かっていない。「あなたのことが心配だからワクチンは打たないで」「これを朝晩飲んで」「これは危険だからしちゃだめ」そんな母の気持ちの有難さと優しさに応えたい気持ちと、自分の信じるものとの間の葛藤から目を背けたくなる。でも大好きな人だからこそ、必死で考えて勉強して出口を見つけないといけない。

 

 

怖いもの見たさでも良い。この本を読んでくれ、そしてできれば感想を教えてくれ。

 

今日も冷蔵庫には母から送られてきたものの手を付けていない健康食品が置かれている。コロナウイルスワクチンの接種は絶対にしないでほしいと懇願するLINEが届く。

 

「るん(笑)」ほど誇張された世界ではなくとも、この世界は、コミュニティは確かに存在する。現実だ。

 

 

 

「るん(笑)」

酉島 伝法 著

2020年11月30日 集英社より第一刷発行